僕の通っていた高校はもともと禅寺だったこともあったりして、高校生の頃は親父に連れられて座禅をくみに寺に行ったりしていた。
座禅っていうとなんかおっさん臭い感じもするけど、やってみると運動するみたいなもので結構気持ちいいもの。その時の事を思いだし、最近ちょっと時間もあるので近所に座禅会をやってるお寺でもないかなーと調べたんだけど、うちの近くには手頃な寺はなかった。
でも極端に言えば座禅なんてただ座るだけだから別に家でもすぐ出来る。やり方については宗教や宗派によってもだいぶ違うから、なんかしら効果的なメソッドがあるなら知りたいなと思って調べたところ、ディープなものからやたらとライトなものまで随分と出て来た。
どれも言っていることはそれなりに理解できるんだけど、その中でソニーでCDや、ロボット犬のAIBOを開発した人(天外伺朗氏)が書いた瞑想の本がちょっと興味深かった。
この人はエンジニアらしく実にドライというかフラットにいろんな宗教の瞑想を参考にして、普通の人でも簡単に出来る独自の瞑想法を説いている。精神論だけじゃなくてわりと科学的な視点からも見てるところがおもしろい。
例えば、瞑想っていうのは睡眠に入る時や目覚める時の状態と同じだから誰でも毎日経験している事、とした上で、そういう状態を改めて作りだすと脳内麻薬が出るようになってくる。それは瞑想する上で正常なことだから構わないんだけど、それに慣れてくると割と誰でもビジョン(幻覚)を見る事が出来るようになったりする。
すると、この時点で「悟りを開いた!」と思ってしまう人がいる。でもそれは悟りなんかではなく、幻覚でしかなくて悟ったと思うのはタダの勘違いだという。実際に禅ではそういうのは魔境といって、座禅をしていて万が一お釈迦様とかが見えたりしたらそれは嘘だから、イメージの中で鎗で突き殺せと教えるそうだ。
彼に言わせると、ほとんどの新興宗教の教祖様はそこで勘違いしちゃった人だそうで、彼の仲間内(業界用語、ということ?)では、そういうのを『教祖どまり』というらしい。つまり本当に悟る前に調子にのって教祖になって終わっちゃった人っていうこと。
『教祖どまり』。これはなかなかすごい言葉だ。ここまで明快にダメな新興宗教を斬った言葉は初めて聞いた。彼に言わせればあの麻原君もそういう人なんだそうな。さもありなん。
というわけで実験好きな僕は、まずはなにか見えてくるところまで行ってみようと思ってなんちゃって坐禅をする毎日。でも当然ながらなんにも見えない。教祖への道ですらまだまだ遠い。
で、昼寝しちゃうわけだ!!
安眠。それがなによりいちばんですよ。
Posted by: kaya | Wednesday, 20 February 2008 at 10:30
前に仕事場近くのお寺の座禅会に参加したことあるよ。一時は禅の本読んだり、家で簡単な瞑想?やってたりしたけど、すっかり辞めちゃったな。。
寺の座禅会もいいと思うよー
Posted by: 卍郎 | Wednesday, 20 February 2008 at 12:28
先日、リヤカー引いて世界中歩いているおっさんに話を聞きに行ったのだけど、とても温厚な人で、歩きながら何考えているんですかってな愚問系をぶつけたら
「砂漠やジャングルなど、人の少ないところを歩いていると、自分の中に気持ちが集中する。グーッと心が内へと向かって行く。矢印が体の中心に向かっているような感じです。自分と対話する。内側へ矢印が向いていると、怒りや喜びが100%噴き出す。風を怒ったり、寂しくて泣いたりとか。泣きながら歩く」
って言っていた。エンドルフィンどぱどぱのランナーズハイみたいな状態なのかな。
一種の歩禅だね。
Posted by: いのうえ | Wednesday, 20 February 2008 at 14:03
↑ああ、わかるわかる。
実際に座禅して瞑想するより、歩いているときのほうがいろんなことに思いをめぐらすことができてあたしは好きだなぁ。
座禅のあの「半眼」ってのが、どうも苦手。
寝てるんだか起きてるんだかわからない状態ってのがさ。
が、どうやら、あたしは寝てるとき「半眼」らしい。
つまり寝てるときに瞑想してるっつーことだな。
Posted by: kaya | Wednesday, 20 February 2008 at 15:02
>で、昼寝しちゃうわけだ!!
そうそうそういうこと(笑)
でも夜寝る時もよく眠れるようになった気がする。
気のせいかな?
なんでも良い瞑想はその3倍の時間寝たのと同じような効果があるとか。
>寺の座禅会もいいと思うよー
昔はそういうのに行ってた。
さすがに高校生の頃は退屈で死にそうだったが。。
近所にいいお寺があるといいんだけどね。
>エンドルフィンどぱどぱのランナーズハイみたいな状態なのかな。
一種の歩禅だね。
なるほど。外部から入ってくる情報が極端に少なくなったり、極度の負荷がかかると脳がその状態に耐えられなくなって勝手にいろんなビジョンを作りだすっていうから、そういうことだろうね。
さすがにそこまでやろうとは思わないが、滝に打たれたりするのも同じ事なんだと思う。
前にスーフィーの旋回舞踊を見たけど、あれも相当来そうだった。
http://bmr.typepad.jp/boundarymusicresearch/2006/10/festival_konda_.html
スティーブ・ライヒの"ドラミング"なんかもそういうものを感じるなあ。演奏してる人はそうとういろんなものが見えてたんじゃないかって気がするけど。あれはちょっと修行に近いよね。
でもそういう状態に一度なってみたいなあと思う。なんにも使わずにその状態まで行けたら確かにすごい。薬とかでズルするのはナシで。
>歩いているときのほうがいろんなことに思いをめぐらすことができてあたしは好きだなぁ。
確かに歩きながらとか電車の中のほうが考え事をするのはいいよね。でもしながらいろいろ考えちゃってるのは、まだ瞑想とはまた違うんじゃないの?。。
Posted by: sstp | Wednesday, 20 February 2008 at 15:41
だから、瞑想は寝てるときにしているから十分なんだってば!w
Posted by: kaya | Wednesday, 20 February 2008 at 16:07
あ、そっか。半眼で寝てるんだったね。。
Posted by: sstp | Wednesday, 20 February 2008 at 17:21