アトム・ハートとバーント・フリードマンのユニット、フランジャーの新作。二人ともバリバリのエレクトロ(ニカ)な人達ですが、この作品で展開されてるのは思いっきりなジャズ。しかも所謂バップとかフリージャズみたいなモダンなやつじゃなく、ジャズファンクみたいなビートのものでもなく、ジャンゴ・ラインハルトみたいなスウィング・ジャズ!
ブレイクビーツみたいなサウンドもほとんどなく、ほとんどギター、クラリネット、トランペット、ドラム.....etcといった楽器による生演奏がフィーチャーされてて、そこに微妙にエディットされたサウンドが絡むという展開。アブストラクトでありながらユーモラスで楽しい感じ。ハーバートがやってたジャズのビッグバンド・オーケストラをエディットしてるやつよりももっと全然ストレートにやってて、21世紀のルーツ・ミュージックという趣き。
アトム・ハートはセニョール・ココナッツ名義でクラフトワークやYMOをラテンバンドでカバーしてたり(これがまたバカバカしくて最高)、一方ではサンプリング/エディットしまくりのブラジル音楽集を出したり、超多作ですがどれもこれも面白い活動しまくりの人。(写真左のおじさん)
もう片方のバーント・フリードマンはソロの他、Nu Dub Playersというバンド名義でダブ/エレクトロ・アコースティックな音楽をやってる人。アトム・ハートとのフランジャー名義でもニンジャ・チューンから出してるのも含め3枚のアルバムがあります。前のアルバムも良かったんですが、この展開は予想出来なかっただけにひさびさにいい驚きでした。
なんでこうなったのか?という素朴な疑問には、ちょっと長いけどバーント・フリードマンがこの作品について語っている言葉がライナーにあったので引用してみます。
「〜世界の音楽史から生まれてきた数々のユニークな音楽スタイルが、僕らの音楽的コンセプトを触発してきたと言えるだろう。これらのスタイルや音楽的フォームが何十年前と同様に現代でも有効性があり、現代的な制作手段で発展出来る事はフランジャーにとって大きなインスピレーションとなっている。〜中略〜(これらは)現代の商業的でファッション的に音楽を繰り返していく方法への反対勢力だとも考えている。現代のアーティストは、過去100年以上の全ての音楽的産物を入手できるという状況に立たされている。伝統音楽が大切にされていないという状況が僕には信じられない。〜〜振らんジャーの新作では、まるでこの音楽を現代において演奏することが自然であることかのように、この音楽の特徴と精神を引き出したのである。〜〜ルーツに戻って、音楽の核となる構造を調べることは有益だと考えている。」
まじめだなー。こういうことを考えて作ったんですね。バーント・フリードマンはNu Dub Playersの”Just Landed”というアルバムでも”I Shot the Fashion Victim”という曲があったりとインストなのに生真面目なメッセージ性が強いなーと思ってましたがここまでとは。彼だけだとちょっとシリアスになりすぎるきらいがあると思うんですが、フランジャーのこの作品がユーモラスで楽しいものになってるのはアトム・ハートのユーモアセンスがより前面に出てるからではないかなと思います。
プレイヤーエゴの集積としてのジャズではなく、ジャズを成立させる前提としてのプレイヤーすらもサンプルのように取り扱うクールな姿勢。以前紹介したRoman Flugelによるジャズアルバムもそうでしたが、エレクトロな視点からのジャズの解釈は最近いいものが多い気がします。
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