僕もそうですが、今はいろんな音楽性の音楽をやっていても、元々レゲエを聴いて音楽を始めたという人は多い。これは日本の僕らだけじゃなくて、世界中に同世代のそういう人が増えている気がします。スカ、レゲエ、ダブはもはや流行とかナントカじゃなくて、もう当然のように日本にも定着している。
で、レゲエを本気で聴きだすと一度はその独特のカルチャーの根本にあるラスタっていうムーブメントに行き当たります。そこで「ジャー!!(Jah)ラスターファーラーイ」って叫べるかどうかで、その後の進路が決まる(笑)。踏み絵みたいなものです。僕らダブフェイは叫べなかったタイプ。
なぜ思い切り叫べないかというと、レゲエを聴いてると必ず耳にするあの叫びがラスタファリズムというある種の宗教と密接に関わってるから。イスラム教のアラーとか、キリスト教のイエスの名前を異教徒が思い切り叫ぶようなものですから、なかなか気が引ける。レゲエ好きが高じてそのままホントにラスタになっちゃう人もいますけど、普通はそこまでいかない。
でもラスタの音楽であるナイヤビンギとか音楽として聴くのは面白いので、僕らは音だけを聴きつつ外からラスタというものを眺める訳ですが、そこで昔から不思議だなーと思ってることがありました。それはユダヤとの符合。ラスタ(およびレゲエのアルバムジャケットにもたびたび登場する)六芒星/hexagram。これはイスラエルの国旗にも登場するマークです。このマークは東洋(日本)にも古くから見られるみたいだから、特にその符合は珍しくないのかもしれないけど、とにかくレゲエにはイスラエルという言葉もよく登場する。
例えばドン・ドラモンドの大ヒット曲「イスラエルちゃん(邦題)」とか、イスラエル・バイブレーション(グループ名)とか、、。でも、ラスタが信奉してる王様といえば、エチオピアの王様ハイレ・セラシエだったりするし、外から見てるだけではなんだかよくわからない。またレゲエの歌詞によく出てくるザイオン(天国)とバビロン(悪の都)という言葉のザイオンは聖地エルサレムのことだったりして、やっぱりユダヤ教的。でもドレッドのラスタは大体黒人だから、直接ユダヤ的な感じはしないし。。。という漠然とした疑問に文化人類学的に迫ってるのがこのドキュメンタリー。
こんなに誰が見ても共通のアイコンを持つユダヤ教とラスタファリズムなんですが、ユダヤ教のラビ(僧侶)もラスタの指導者もこのドキュメンタリーの女性監督に指摘されて初めて気がついた様子。イスラエルの若いミュージシャンとか、ニューヨークのユダヤ人の中にはこの符合に感覚的に気づいて、レゲエをプレイする人は増えてるみたいですが。
この映画では、結局ラスタも旧約聖書的な世界観を強く持っていることが明らかになります。ある意味ラスタファリズムはユダヤ教の親戚みたいな感じ。ユダヤ教だけでなく、イスラム教やキリスト教もそもそもは旧約聖書をもとに発達した宗教だということを考えると、本当に不思議な気持ちになります。バベルの塔の話を思い出す。この映画のように同じ神様を信じてるのにそれに気づいてなかったり、それどころか今のイスラエルのように戦争してたり。
その辺りの話はダブフェイのパーカッション、民のお父さんであるジャーナリスト広河隆一氏の仕事を参照。今のイスラエルが抱えている問題は本当にあり得ない。君らは神様だっておんなじなんだから喧嘩すんなよ、、、と言いたくなります。それこそラスタを信じていたボブ・マーリーが歌うワン・ネイション、ワン・ラブなはずなんだけど。。。
まあ、近いところにいる人ほど喧嘩は起こるってことだな(人種としては一緒なはずの日本と韓国・中国みたいに)。大まかに言えば、エチオピアの王家が古代から連なる正統なユダヤ人だ、ってことを主張してるんだけど(現代の主なイスラエル人はのちに改宗したヨーロッパ人=白色人種=アシュケナージがほとんど)、東洋人から見れば、西洋(+アフリカやアフリカから奴隷としてつれてこられた北中南米の人たち)はすべて一神教(同じLordとかGodとか呼ばれるもの)なわけで。昔NYに行ったとき、旧友のRas Takashiとラスタ仲間であるハイチ人とバルバドス島人(ボブマーリーのエンジニアとかやってた人たち)が、港の空母を指差して「バビロン」って言ってたのを思い出すな。その空母作ってる人たちもユダヤ人やキリスト原理主義者たちなのになあ、と無信教の俺は感じたわけだ。ちなみに、神道で最も重要だといわれる、アマテラスを奉っている伊勢神宮や京都の陰陽道師・安部清明の神社にも六芒星があるけど、あれは、古代中国まで来ていた原始キリスト教徒と言われる秦氏が日本に持ち込んだものと言われてる。自然に乏しい砂漠で生まれた一神教には良いところがいっぱいあるけど、限界がある。モノがないところでは、残酷な争いがあるわけで、その歴史が現在まで脈々と続いてるわけだ。自然に恵まれて、ありとあらゆるものに神が宿るというアニミズム(多神教)文明である日本人とは、この二、三千年積み重ねてきた歴史と受け継がれてきた遺伝子情報がかなり違うので、完璧には理解できなくて当然なこと、と個人的には思うよ。一神教故に、自分とちょっとでも違った神を信仰する者(=人間ではない)は殺しても罪にはならない(原爆を投下しても罪を感じないという思想)という、弱点?を持つ宗教の現実が世界情勢には露呈してるとしか言えないし、こればかりは積み重ねられた歴史があるんですぐに解決できる話じゃない・・・。けど、ちなみに、戦後の進歩的なアメリカ人の友人の多くは、その矛盾や不完全性に気づいていて、だいぶ無信教(本当にはキリストを信仰していない)の人が増えてて、仏教とか東洋哲学に興味を持ち始めてるのが現実。ハルマゲドンと言われた1999年に救世主が降りてこなかったのも大きいみたいよ。でも、ラスタの平和思想や自然食文化は共感できる。あそこまでハーブを吸う生活をしようとは思わんけど(仕事にならんから)(笑)。
Posted by: だいじょび | Saturday, 18 November 2006 at 02:53
ラスタの思想に共感できるところは確かにあるんだけど、僕とかが単純に「ジャーッ!」って叫べないのは、、なんかひとんちのお父さんに、いきなり「パパー!」って呼びかけるような気恥ずかしさというか後ろめたさを感じちゃうから。。。
結局一神教の争いってのは、そこら中に愛人やら家族を作っちゃった一人の親父を巡って、腹違いの子供達が相続争いをしてるように見える。
今のユダヤXイスラムは1000年、2000年という単位で、そうしてもめてる訳だからもとに戻るのはそれ以上の年月がかかるのかも知れないですね。その頃まで人類が存在するか分からないけど。。
Posted by: sstp | Saturday, 18 November 2006 at 04:24