ヒロシマから帰ってきました。今回の旅はそもそも出発する時羽田の搭乗ゲートまで行ったのに大雪のため飛行機が飛ばず、急遽飛行機をキャンセルして品川まで戻り新幹線に変更。もうなんだかやたらとばたばたしました。僕は前日あんまり寝てなかったので新幹線に乗り込むや爆睡。目が覚めたらもう岡山あたりまで来てたのでそんなに時間がかかったような気はしませんでしたが。
そうしてたどり着いた初日は以前にもやったことのある横川シネマ(という映画館)でのライブ。みんなさすがに疲れちゃったのか今ひとつ乗り切れなかったような気がします。。映画館でライブっていうシチュエーションはすごくいいんですけどね。その後映画館の会議室でこのイベントに関わった主催やボランティアの人達と打ち上げをやって解散。
翌日尾道へ移動だったんですが、少し時間があったので平和記念公園へ。他のメンバーは原爆資料館へ行きましたが僕は見た事あったし、この日はなんとなく見る気になれなくて一人で公園を散歩してました。うろうろと平和記念公園の周りを歩き回っているうちにふと気づいた事がありました。
中沢新一のアースダイバーという本で、東京の深層/無意識には縄文がある、というようなことを読んだのですが、ヒロシマという街にはそれとはまったく違う種類の記憶があるということ。言わずもがなそれは原爆の記憶なんですが、その記憶は街の深層にあるのではなく表面に押された烙印のようなものとして存在しています。原爆の記憶から100年もたたないので表面に張り付いているのは当然なんですが、その烙印の形がある記号に似ているような気がしてきたのです。
広島市内には何本かの川が流れていて全体は扇の様な形をしています。で、ちょうど平和記念公園があるところ、つまり原子力爆弾が投下された地点に1本の川が2本になる地点があります。その中州のような部分が平和記念公園になっているのですが、原爆資料館から記念碑を通して原爆ドームを眺める一直線のラインと、上流から流れてくる1本の川、そして川が分流していく2本のライン。加えて爆心地(原爆ドーム)付近を中心に円を描くと、、、、ちょっとずれてはいるんですけれどもピースマーク(↑)に似てるんです。
まさかピースマークってこの形をもとに作られた訳じゃないよね、、、と思ってちょっと調べてみたんですが関係はないみたい。
ピースマークの由来は諸説(鳩足説、変形十字架説等)あるんですが、1958年に Gerald Holtomというアーティストが、イギリスのCND(Campaign for Nuclear Disarmament)という反核・軍縮団体にCNDのロゴをシンボルマークとしてデザインしたという説が有力です。 1970年代から泥沼化するベトナム戦争に対する反戦の証として米軍兵自らが服飾品に描いたりしたピース・マークがヒッピー等に拡がり反戦・平和のシンボルマークとしてデモからファッション等にまで用いられる現代のピース・マークに 至っているようです。
人類最大の殺人兵器が地上に押し付けた焼き印の形が偶然にも反戦の象徴と類似している。ちょっと出来すぎているような気もするし、考え過ぎかもしれないけど......。2本の川はもとからのものですが、そこに爆弾が落ちなければこの図形は出来なかったわけだし。。。なんか偶然なような必然であるような。。。良いとか悪いとかって話でもないし。。ただちょっと似てるってだけでだから何だと言われればそれまでなんだけど、これをどう考えたらいいのか分からなくなってなんだか微妙な気持ちになってしまいました。
なんて事を考えながら尾道へ移動。洋蘭センターのライブはダブルフェイマスも含めるともう5回目。ダブフェイがまだビクターからリリースする前に初めて呼んでもらって、すごく感動した思い出のある会場です。ここでライブをやってはずしたこともないし、安心してライブも出来すごくよかったです。このイベント、ツアーに関わってくれた皆さん。本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
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